
一年ほど前から、私が参加している研究会があります。先日、そのメンバーと会の現状についてFacebook上でディスカッションする機会があり、メンバーの色々な思いを知ることができて有意義でした。
そして、自分自身にも気づきがありました。その研究会が好きな理由の一つは「ピラミッド構造」がないことなんだなあ、と。
医療系の研究会や勉強会も、時が経つにつれて「師匠」を頂点とした「ピラミッド」が出来ていくことも少なくないように思います。そして、「師匠」に対してはなかなか率直な意見が言いづらい雰囲気が出てくることもあるのではないでしょうか。
一方、この研究会では、メンバーが言いたいことを自由に言える雰囲気があります。主催者は驚くほど豊かな智慧を持っている人ですが、自分の考え方を押し付けることはありません。
会では色々な知見が紹介されますが、それは最終解ではなく、実験や対話を通じて新しい知恵が次々と産まれていきます。参加メンバー一人ひとりのアイディアに刺激されて、また誰かがアイディアを出すといった「化学反応」があるのです。
「権威」が苦手な私にとっては、余計な気を使うことなく、自分らしくいられる居心地が良い研究会の一つです。
この研究会を「ピラミッド構造」がない良い“学び合い”の場にしている要因はいくつもあると思いますが、研究会では「新参者(でもないか?)」の私が感じたのは、新しく参加する人への“眼差しの温かさ”です。
社会人類学者の中根千枝が、ベストセラーになった「タテ社会の人間関係」の中で、
「日本のどのような分野における社会集団においても、入団してからの年数というものが、その集団内における個人の位置・発言権・権力行使に大きく影響しているのがつねである」
と書いていましたが、他の研究会を見ているとたしかにそういう傾向を感じることはあります。
この会では、そういったことがありません。
研究会に新しく参加する人も、昔から参加している人と同じように歓迎される、遠慮することなく発言や質問ができる、何かの事情があって研究会から去ったとしても、また学びたいなと思ったときには何の気兼ねもなく参加できる・・・といった場ができています。
そして、それを大切に出来る一つの理由は、会のメンバー一人ひとりが、「ヒエラルキーのない場から産まれる創発的な学びの素晴らしさ」を肌感覚で知っているからかもしれないな、と思います。
守屋文貴
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